うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

愛他主義。

 

新型コロナウィルスの感染が再拡大して流行の「第七波」に入り、毎日各地で感染者が最多数を更新していますね。BA.5株の矯激な感染力は、露骨に恐怖です。重症化の懸念は少ないとも謂われていますが、実際に自分が罹患したらどうなるかわかりません。他の人に悪疫をうつしてしまうことを考えると、層一層の恐怖を覚えます。医療体制逼迫の一因となるのは絶対に回避しなければなりません。

一部では行動制限に関する報道も見られ、専門家や個人からも様様な意見や見解が、発信送稿されています。行動制限による感染抑止についての無謬性を立証する効果測定が置き去りの侭、何度も繰り返される緊急事態宣言には諸諸の所懐があるようです。慥かに2020年の第1波から3年目をを数え、コロナウィルス発生当初とは知見も変遷し、抗原や検査も拡充されてきました。個個夫夫考え方にも変異が顕れるのは、至極当然と謂えます。

「世間」もコロナに馴れてきているし、ウィズコロナに向けた対応をすべき、今緊急事態宣言を発出して行動制限をしても、「誰も」納得しないし、「誰も」守らない、とする論もあります。始めにお断りしますが、だんなはこうした意見を非難する意図は一毫もありません。但し、「世間」とは「誰も」とは何なのか。何を礎とする集合なのでしょうか。

太宰治は述作「人間失格」で、「世間というのは、君じゃないか」と看破しています。(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)「そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。」世間とか、誰もが、皆がというのは詮ずるところ、個人の主観なのです。太宰が指した図星によって、だんなの思案は飛躍しました。感染予防、対処も個人の意志で行えばよいのだと。

うちのふうふは、一定の行動制限をしています。暮らしの平穏を保てるから。ふうふが納得し、ふうふが安心してコロナに馴れる時が来たら、緩和するつもりです。