先日来、エイトをモティフにした無駄書きであすんでいるだんなですが、
有難くも、斯様なブックマークコメントを頂戴致しました。
疾走するエイト 其の弐。 - うちのふうふとエイトのこと。
こんにちはいつもありがとうございます。アルファロメオを 赤くするのは?
2024/09/02 17:07
ために、ご提案くださった別バージョンを作成。
如何でしょうか。
いずれ、Tシャツのデザインも起こしたい、なぞ考えております。
先日来、エイトをモティフにした無駄書きであすんでいるだんなですが、
有難くも、斯様なブックマークコメントを頂戴致しました。
疾走するエイト 其の弐。 - うちのふうふとエイトのこと。
こんにちはいつもありがとうございます。アルファロメオを 赤くするのは?
2024/09/02 17:07
ために、ご提案くださった別バージョンを作成。
如何でしょうか。
いずれ、Tシャツのデザインも起こしたい、なぞ考えております。
文豪森鴎外の息女であると謂う一点以外、森茉莉氏のことには知識を持ち合わせていません。偶さか近場の書肆を訪った折に其の一角にちくま文庫の展示即売があって、置かれていた一冊を購いました。「贅沢貧乏のお洒落帖」と謂う書名に惹かれるものがあったからでしょうか。お洒落なぞには年老いて猶珍紛漢紛、口脇白いだんなですが、著者の炯眼と見識の高さ、調子の高い詞藻に惹かれました。欧羅巴の美意識と江戸の粋が錆びて合わさったような洗煉が心地良いですね。
喩えば「たばこ随想」との章にある一文を引きますが、
新橋寄りのこれも右側に「三浦屋」という洋酒の老舗があり、私はそこでよく、玩具のような小瓶の三つ星のコニャックや、ミス・ブランシェという五色の薄色の紙で巻いた煙草なぞを買った。
とあります。何だかお洒落ですけれど、氏は本當には煙草を喫むのが「から下手」で、一箱買うと「十九本か九本余って誰かにあげてしまう」。此のシガレットは大佛次郎の小説でも披露されていますが、索めても中中正体が見当たりません。漸く行き當たった販促用の張り札に其の片鱗を覚えました。成る程、粋ですねえ。
此の張り札が何時のものかは定かではありません。右下に小さく「二十本¥120」と謳われています。本品が引かれた大佛次郎の小説「白い姉」の初版は昭和七年。當時の物価指数に鑑みれば、現在の通貨価値は略640倍です。120×640では、76,800円となってしまいますから、幾ら何と謂っても値が嵩むこと甚だしい。実際には今少し低価だったのでしょう。
産生国も商標も違いますから、一考関係はないと思いますが、今も虹色の紙巻煙草を購うことは出来ます。ソブラニーカクテル、お値段850円。高望遠く届かず、と謂う程にはお高くありませんね。
一向に聯関ありませんが、だんなが思い浮かぶ届かない虹とは此方。ゼニスの「デファイ スカイライントゥールビヨン」のスペシャルエディションです。世界限定100台で略850万円。ブレゲを嚆矢として、マリー・アントワネットも註文した脱進機回転結構を装備したエル・プリメロであるからには高いなぞとは野暮は謂うまいと思うものの、一世を賭しても購うこと叶わないことには旗幟鮮明。まあ、分不相応にして不似合いであること甚だしいので物慾の対象にもなりませんけれど。
末枯れる思いは致しますが、贅沢とは「する」ものではなく「在る」ものなのでしょうね。ために、贅沢貧乏とは秀逸な物謂いです。
贅沢も虹も届かず酒を吞む 拙句
サンデーレーサー風のエイト。
Tシャツ用に起こしたデザインは此方です。
次はどうしようかな。
「親の臑齧り」と謂う輩は何時の世にも悪事の如く猖獗を極めているようで、落語の演目にも「臑齧り」なんて咄があります。
裕福な育ちで器量好しの娘さん。理由は分かりませんが、どうにも結婚の縁がつきません。何度か婿さんを取るものの、三日も居着いた例しがない。一方、身持ちが悪いのか心持ちが薄暗いのか、勘当されて親掛かりから居候の身となった若旦那がおりまして、此方の娘さんとの縁談が舞い込んできます。美人と私産の二人連れに、究竟の条件と飛びつく若旦那。而して其の顛末や如何に。
瀬尾まいこ氏の「その扉をたたく音」を読みました。主人公の宮路は二十九歳。無職の彼は糊口費を親に貰う仕送りで賄っています。仕送りは月二十万円。宮路の無業者期間が七年間とすれば、父君は贈与税も含めて略二千万円を費消した計算になります。でも、大丈夫。宮路の実家は私産家で、父君は市議会議員なのです。
では宮路自身は大丈夫なのでしょうか。「じっとしていても働くのと同じくらいのお金が毎月振り込まれる」がために、勤労を睥睨しながら「一人かけ離れた場所にいる自分にぞっとしている」彼は。
厚生労働省の資料「年齢階級別就業率の推移」に恃めば、2023年平均に於ける二十五歳から三十四歳の就業率は86.6%とされています。思っていたよりも高いと感じるのですが、本當でしょうか。自由に民主主義を食い物にするために徒党した連中の陰謀ではないのかしらん。
此の数字に信を置くならば、喩えば当該世代十人が集まると、概ね九人は有業者である。即ち無業者は宮路のみであり「一人かけ離れた場所にいる」と謂う不安は、論理的に正当なのです。
でもこの小説には昏く閲する日乗がありません。みな優しく、舞台となる介護施設の老人たちも明るく逞しい。加うるに、誰も疎外されていない。宮路もかけ離れた場所に置かれた侭にはなりません。なんだか落語の人情咄のような、良い物語でした。
「本屋、はじめました」。素敵な響きですが、人生でこの言葉が耳朶に触れる機会を得ることは盲亀の浮木でしょう。2006年度に14,555店あった書肆は、2022年度には8,169店へと逓減しており、経営の難易度が高いであろう事は想像に難くありません。衰勢明瞭な商事で暮らしを立てようとするには、相当な気概と相応の暗黙知が必需と思われます。ために、書肆を開こうとする傑物は多士済済とは相成りますまい。
「若者の活字離れ」なぞと年寄りが謂い出してから久しいですが、過去30年の「学校読書調査」によれば、小中高校生の月間読書冊数は横這いか微増です。一方で小中学校生の不讀率(調査月に讀んだ本が0冊)が5乃至10%であるのに対し、高校生は40乃至50%程度で推移しています。高校生になると「他の活動に時間を取られる」ために、読書量が減ってしまうようです。高校入学以降も本を讀む意慾と時間が維持捻出できるなら、「町の本屋さん」は無くならないかも識れませんね。
「本屋、はじめました」の著者、辻山良雄氏は大手出版チェーンのリブロに勤務し、池袋本店マネージャーの任に就いた方で、本の仕入れや棚の作り方に関する知識はお持ちだったのでしょう。個人経営で新刊書店を開く事例は珍しいようですが、辻氏の書肆「Title」は創業から捌年を経てようとしています。氏の人と書の関係を解き分ける、卓越した能力の賜物でしょう。
読書量と年収の高さには相関関係がある、とは良く耳目にしますが、徒に数を重ねれば金持ちになれるとは、問屋取次が卸さない。因果関係の博引旁証は整っても、立証はされていないのです。
野暮天なことを考えるのは止して、町の本屋さんに棚を眺めに訪うとしましょう。