うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

江戸思草についての軽い脳味噌による思索。

 

260余年続き、盛事には150万人とも謂われる人頭を数え、世界でも有数の大都市だった江戸。根生まれた生粋の江戸者を指す「江戸っ子」という語彙は1771年の川柳が初出だそうです。鯔背で気風は潔し、意地と張りを本懐とし正義感が強く、歯切れと金離れが良い反面喧嘩っ早い向きもある、そんな典型でしょうか。一説では江戸町人で江戸っ子の定義を充足していた古人は5万人程度、江戸全体で見れば僅か3%程度だったとも謂われています。

当代、江戸には日本各地から商機を索めて多くの商賈が集まりました。習慣や生活様式が異なる集団が、共生互助互尊し商売繁盛を目途とした行動規範が「江戸しぐさ」。雨の日に対向者と擦れ違う時に、ぶつからず亦た雨に濡れない様に互いに傘を傾ける「傘かしげ」や、初対面の相手には職業、年齢、地位は尋ねない「三脱の教え」等等、先人の知恵と思慮に懼れ入りました。残念ながら、近時では江戸しぐさは昭和に練られた根拠の無い発明とする検証が殷勢となっているようです。

結句、江戸しぐさは虚像となって歩み去ってしまいましたが、江戸に開花した日本民族固有の美意識、「いき」は実存すると思っています。而して「いき」とは何ぞや。在欧州時にはジャン・ポール・サルトルを家庭教師として雇っていたこともある日本の哲学者、九鬼周造は現象としての「いき」とは、わが民族に独自の「生き」かたの一つと着眼。1930年に『「いき」の構造』を著わし、構造の闡明と存在の把握について論理的に哲学的に探求しています。「いき」とは「東洋文化の、否、大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差し支えない」と前提し、「『いき』の構造は『媚態』と『意気地』と『諦め』の三契機を示している」と定義しています。だんな個人的に、徴表として興味深いのは「諦め」です。

そうして「いき」のうちの「諦め」したがって「無関心」は、世智辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒と未練のない恬淡無碍の心である。「野暮は揉まれて粋になる」というのはこの謂にほかならない。

相応に人生の実地を踏んで、試練を経ないと「いき」は立たないと謂うことでしょうか。芸者に準えて、

「いき」を若い芸者に見るよりはむしろ年増の芸者に見いだすことの多いのはおそらくこの理由によるものであろう。要するに、「いき」は「浮かみもやらぬ、流れのうき身」という「苦界」にその起原をもっている。

と前提しています。ここでの「苦界」は、遊女のつらい境遇或は遊女の世界、の意です。花柳界に粋の端緒と整理を索めたのは、周造の母と二番目の妻が芸妓であったがためにでしょうか。

江戸しぐさを創作として振り返ると、幼年期から青年期に向けた体系的な道徳教育に始末出来ます。偽ではあるが、或る質料としては成立している。大人が大人として振舞う形相が完成すれば、暮らしやすい世間になるでしょう。江戸という文化の時代に借力を恃まずに、純粋に身ごなしや所作の典範とすれば様相は変わっていたでしょうか。

まさに世智辛い、いま此の時。脳の軽いだんなが成長して少しでも粋に近付き、大人として振舞う為の方法論は在るのでしょうか。「沖仲仕の哲学者」と呼ばれるエリック・ホッファーは、著書「現代という時代の気質」の冒頭「未成年の時代」で以下の通り述べています。

成熟するには閑暇が必要なのだ。急いでいる人々は成長することも衰微することもできない、彼らは永遠の幼年期の状態にとどめられているのである。

成る程。だんなの軽い脳味噌では、下手の考え休むに似たり。急がば回れアキレスと亀の喩え、三年寝太郎の逸話もありや。コロナの感染拡大も沈静する表情が見えません。当面は陋屋に籠もり、軽い脳味噌を転がして過ごすことにします。