うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

辨当。

 

便利、好都合なことを意味する中国語の便當が語源だそうです。だんなもおくさんが料った辨当を職場に持っていき、お昼に食べていた時期がありました。蓋に手を掛けると何とはなしに心弾みます。各人各様、色々と思い入れや思い出があるたべものではないでしょうか。手許の書冊に索めても、辨当に関する著述は縷縷多出して参ります。今日は種もないので、以下無作為に抜萃借用致しました。

向田邦子/夜中の薔薇、食らわんか」

海苔弁である。まずおいしいごはんを炊く。十分に蒸らしてから、塗りのお弁当箱にふわりと三分の一ほど平らにつめる。かつお節を醤油でしめらせたものを、うすく敷き、その上に火取って八枚切りにした海苔をのせる。これを三回くりかえし、いちばん上に、蓋にくっつかないよう、ごはん粒をひとならべするようにほんの少し、ごはんをのせてから、五分ほど蒸らしていただく。

松浦弥太郎/日々の100、べんとう箱」

曲げわっぱはご飯用として使っている。曲げわっぱの利点はご飯が冷めても美味しいということだ。わっぱ自体がご飯の水分を取ってくれるので入れたご飯がべたべたしない。炊き立てよりも、入れて少し経ってからのほうが美味しいくらいだ。ご飯にふりかけをかけて、梅干しでもひとつあればそれで充分。

沢村貞子/わたしの台所、私のお弁当」

私はいつも機嫌がいい。朱塗りの三段重はつやよく磨きあげられて、手ざわりが暖かいのだもの。一番上には好物のお新香ー ほどよくつかった白いこかぶと緑の胡瓜。傍には黄色も鮮やかな菜の花づけ。銀紙で仕切った半分には蜂蜜をかけた真っ赤な苺の可愛い粒。中の段には味噌づけの鰆の焼物。その隣りの筍と蕗、かまぼこはうす味煮。とりのじぶ煮はちょっと甘辛い味がつけてある。上に散らした小さい木の芽は、朝、庭から摘んだばかり…プーンといい匂いがしている。隅にはきんぴらの常備菜。下の段の青豆ごはんがまだなんとなくぬくもりがあるような気がする。

「内田百閒/御馳走帖、腰弁の弁」

アルミニュームの弁当函に麦飯を詰めて携行する事にした。机の抽斗に入れておいて、そろそろ廊下の浮き上がつて来る二時半か三時頃に食べる。おかずがうまいとご飯が足りなくなるから、塩鮭の切れつ端か紫蘇巻に福神漬がほんの少し許り入れてある計りである。

池波正太郎/食卓のつぶやき、弁当(A)」

母は、月に一度ほど〔カツ弁当〕というのを持たせてくれた。デパートで売っている一口カツを二つに切り、タマネギと卵で綴じたものを御飯の上へのせる。カツ丼の弁当版なのだが、私の家では、カツレツと卵を煮るとき、ウスター・ソースで煮る。少し水を加え、ほんの少し砂糖を加えたソースの出汁にする。いまでもそうしている。

團伊玖磨/舌の上の散歩道、駅弁」

函館からの鉄道で長万部を通った時、駅弁を買った。粗末な蓋を開けた時吃驚した。ご飯の上に鰈の煮こごりが一尾載っているだけだった。そして、これは滅法に美味しかった。今でもその味を覚えている程だから、余程美味しかったのだと思う。

森下典子/いとしいたべもの、幸せの配分」

※この随筆は全篇を通じて崎陽軒シウマイ弁当愛が綴られた麗筆です。是非一読をお奨めします。

伊丹十三/女たちよ!、ピクニックの巨大な昼食」

直径三十センチくらいの、さよう丸い座蒲団のようなパンを使う。このパンを、やはり水平に二つに切って、サラド・ニソワーズを大量に詰め込む。これは遠足のお弁当に好適である。作ってから三十分くらいおくと、サラダのドレッシングがパンに浸みこんで、パンが実にいい具合に潤びるのである。

 

どれも美味しそうですが、だんながどうしても食べたいと思う極め付けはこちら。

子母澤寛/味覚極楽、三重かさね弁当〈舞踊家元 花柳寿輔さんの話〉」

弁当は烏森「末源」の朱色に塗った三重かさねが私には一番です。「鶏のうま煮」などの上手な味付けはちょっと外にはありません。

新橋の老舗「末げん」ではないかと当たりはつけるものの、件の三重かさね弁当には行き当たりません。思いは募りますが無いものねだりはいい加減として、盛夏の前に4cスパイダーに家族と小さなお弁当を乗せて、少し遠出を楽しみたい。ね、おくさん。

 

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