うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

恰好良い大人。

 

 だんなが会社でまだ「新米」なんて謂われていた頃の咄です。

 その方は取引先の社長で、齢七十を数えようかとしていましたが、まさに古来稀なりを地で行く鯔背(本来は若い衆に用いる言葉ですが)振り。野暮なだんなからすると本當に恰好良かった。個性豊かな方で、引き継いだ先輩からは「機嫌を損ねると大変だから気をつけろよ」なぞ助言を戴きましたが、何故かだんなは一度も叱られたことはありませんでした。

 会社に来られる時はいつも、船の様に大きくて赫赫と輝く白いキャデラックをご自分で運転されていらっしゃいます。約束の時間より早くお見えになることが多いので、30分前から駐車場で待機してお出迎えするのが常でした。キャデラックの大きなドアをバーンと開けて降りられる立ち姿がまた恰好良い。白髪をきちんと整え、だんなのような微禄の身にも分かる明らかにお高そうな装い。時計もベルトも眼鏡もいちいちお洒落なのに全く嫌味が無い。身に付くとはこういうことかと思い識りました。

 或る時、社長が珍しく無理筋の取引条件を提示されてきました。今思えば、だんなに一本筋を通してやろうと鍛えて戴いたのでしょう。応接室で二時間ほど話し込んだ頃、上司が入ってきました。世間咄でやや場が和んだ地合いを計り、上司が一言。「良い店があるんですよ。今からどうですか」と。

 社長と上司、だんなの三人で向かったのは鼈料理の専門店でした。庶民的な、気の置けない友人と訪う様な店でしたが、だんなは緊張で居ずくまる許り。社長のお酌をしていると「まあいいから。○○ちゃんも吞みなよ」と目が回るくらい注いで戴きました。注ぐ手の矢継が早いこと。吞めば出るものもあるわけですが、接待だからと我慢していただんなを慮って下さったのでしょう。社長が「よし、ちょっとみんなで花を摘みに行こうか」と助け舟を出して下さいました。

 覚束ない足取りで席に戻っただんなに、社長は仕様がねえなあと謂った風で「まあ鼈だけに『まる』っと収めようか」と二艘目の助け船。あとは上司が落としどころを作ってくれました。

 社長も吞んでますから、ご自分の車では帰れません。タクシーを呼んでお見送りし、其の日は一旦お開きです。然り乍當然社長は次の日に、会社の駐車場に停めた侭のキャデラックを取りに来られます。二日酔いの重い頭を抱えて、30分前から駐車場で俟つ草臥れただんなの前にタクシーで乗りつけた社長は、一部の隙も無い出で立ち。嗚呼、諸諸申し訳ございません。

 コスパやタイパ、生産効率なぞ考えたらとんでもない咄かも識れません。でも、あの頃の社長や上司の様な、恰好良い大人になれはしないものかと、だんなはそう思うのです。