うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

名古屋城再建なぞに興味は無いが。

 

 不断は記事の内容を直截に題号に纏めることはしないのですが、今回は種種胸糞悪かったので斯様な結構となりました。名古屋市が進める「名古屋城の復元計画」の討論会に於いて、エレベーターの設置を意見具申する障害者の男性に対し、別の参加者が「我慢せいよ」だの、或いは差別用語を用いた発言に拍手が起きるだの、極めて不快でした。「それ、あなたの感想でしょ」と謂われるかも識れませんが。

 討論会の参加者は、事前に市側が5,000人から選出した36名だそうです。或る意味名古屋市を代表する者としては程度が低すぎる。市長の対応も波紋を拡げたようですが「民度の低い市民にして此の市長あり」だと思います。まあ、愛知県は2022年都道府県別全国学力テスト小学生正答率ランキング40位。2003年から16年間連続で交通死者数全国最多と謂う素晴らしい記録を打ち立てています。結句、地頭の悪い、煽り運転常習者ばかりが棲む集落なのでしょう。

 抑、名古屋城の再建に意義や大義名分が、或いは価値はあるのか。1500年代から修復を重ねている「眞なる」人類の寶「モナ・リザ」であれば兎も角、一地方の一度は朽ちた城の精巧な模造品を造ることに何の興趣も湧きません。だんなの感想ですけと。

 建立当時の様相を再現して再建するのであれば、当然、電気電話瓦斯上下水道は引かず、重機も用いない。防犯カメラの設置や警備システムの導入なぞも言語道断。いわんや一般公開に於いておや。そう謂う論点整理で宜しいのでしょうね。

 大体、意見交換の場で一方的に「我慢せいや」とか言論弾圧してどうする。仮に「我慢せいや」男が私財を凡て投下して名古屋城を再建する計画で、完成したら時には一般公開も致しましょう、と謂うことであれば、発言に対して一定の理会は出来ます。勿論、差別用語を用いた発言については許容出来ません。然し、実際は市民の税金を財源とする事業なのですから、其の成果は須く市民に還元されて当然です。なぜ一部の人が我慢することを前提とした論調が持てるのか。論理構造を示して戴きたい。おそらく其処に良心は無い。哲学者のマルティン・ハイデッガーが、著書「存在と時間」に於いて「良心は、ただただ常に沈黙という形で語る」と述べている様に。

 坂口安吾の「日本文化私観」からの引用です。

 「法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである。(中略)ここに我々の実際の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか」。

 名古屋城も復元なぞ行わず、平和と人権の資料館にでも再製しては如何でしょうか。略70年前の「白山中学校事件」を再検証して展示するのも一案だと思いますが。

 

f:id:eight8eight_888:20230607074616j:image