うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

二度教えて一度叱れ。

 

 今更乍、伊集院静氏の訃報に幾許か悄然としています。享年73歳。ご病気とは謂え、未だお若いです。だんなは決して氏に傾倒している訳ではありませんが、他に類の無い個性、無頼派としての矜持を発揮して、老害として永く文壇に立って戴きたかったと思います。

 このところ、何処ぞの地方自治体を治める長のパワハラが報道されています。人格を否定するような、或いは感情的に怒りを打つけるような行いはあってはならないと思いますが、部下や後輩を正しく「叱る」ことは、時に必要かも識れません。

 伊集院氏は自署「大人の流儀」の冒頭で「大人は人を叱る時の心得」について、自身の見解を述べられています。

 

 この頃は、さまざまな理由で職場の中で怒る人が少なくなっている。

”それは断じて違う”。

怒りなさい。

叱りなさい。

どやしつけなさい。

 言い方に気を配ることなどさらさら必要ありません。あなたの言葉で、ダメなものはダメだと言いなさい。

《中略》

私は、人が社会を知る、学ぶ上でのいくつかの条件のひとつは、

”理不尽がまかりとおるのが世の中だ”

ということを早いうちに身体に叩き込むことだと思っている。

 

 革めて強い論調で、今の時代には馴染まないかも識れません。一方で、世の中に理不尽なことは佃煮にする位溢れています。日本の経世済民が何十年も停滞しているのも其の所為です。社会には本當に理不尽が蔓延しています。識らなければ、理会していなければ対応できませんから、結句、理不尽な人に、ことに、社会に隷属するしかありません。ために、人格や主張を喪うこともあるのです。

 だんなも社会人になったばかりの時分は、随分と叱られました。でも、昔の上司や先輩は「叱り上手」だったと思います。だらだらと感情に任せて怒らない。嫌味は謂わない。何が間違っているのか、如何すれば良いのか結論だけ話す。叱られれば辛いことも分かっているので、きちんとセーフティネットも用意してある。

 なんて謂うのは老害なのかしらん。では、日本の政治に「理不尽なこと」はありませんか。伊集院氏の論調にある様に、社会では理不尽なことがまかり通ると早くから身を以て学んでおくべきです。そして抗う術を立てていないと、実にあっさり負けてしまいますから。

 ために、だんなは全力で叱って戴いた上司や先輩に心から感謝しています。そんな叱責なぞタイパに見合わないと思いますか。でも考えてみて下さい。イーロン・マスクがタイパを行動基準にしているでしょうか。大したパフォーマンスも発揮できていない人が「タイパ」なんて口にするのは「大人の流儀」に反すると思うのですが。