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選挙は見え透いた罠ではなくなったのか。

 

 ジャン・ポール・サルトルは自署「シチュアシオン」で「選挙は見え透いた罠」であると述べています。選挙が民主主義の象徴である一方で、政治家が選挙を利用して自分たちの利益を追求する一面を持つと謂う意味だと思いますが、シチュアシオンXの出来から略50年を経てて、選挙の持つ意味は如何変わったのでしょうか。

 仏蘭西の哲学者ベニィ・レヴィはサルトルとの対談「いまこそ、希望を」で以下のように述べています。

 

こうは言えないかな。普通選挙の経験はすでに古く、それをとおしてわれわれは、熱い部門から冷たい部門にいたる道程をすべて踏破したのだ、と。たしかに、投票は熱い時点から始まった。いまでは冷たくなっている。だがあえて言うなら、投票はすくなくとも、熱さと冷たさとのあいだの関連づけを可能にしたのだ。ところで、われわれはまさにそのことを、「選挙は見え透いた罠」と叫んで否定してきたのだ。

 

 サルトルは投票以前に人間相互の最初の関係があり、投票することで、ある環境の、ある集団内の、思想の次元での条件付けを表現する=投票によって自分を市民とみなすことができると応じています。但し、彼らは投票しなければ市民たり得ないと謂う論点は持っていません。

 15日に投開票が行われた東京都議補欠選挙立川市選挙区、被選挙数2)では自民党候補が落選しました。投票率は2021年の都議選よりも略10%低い27.39%で、レヴィの謂う「冷たい時点」への道程は未だ續いているようです。過去の都議会議員選挙について、21歳以上74歳以下のの年代別投票率を見ると、年齢と投票率はほぼ正比例の関係にあります(東京都HP:世代別投票行動調査結果。「若者は選挙に行かない」と謂われて久しいですが、超少数派の若者世代の投票率が多少上がるくらいでは、選挙結果には殆ど影響がありません。加うるに、若者と高齢者の投票先は概ね一致すると謂うデータもあるようです(成田悠輔著」22世紀の民主主義)。若者が主体的に政治参加してもしなくても、選挙の結果は変わらない。他人が選んだ政治家の政策に将来を委ね、保守層が支持する社会構造によって、一方的な負担の増加に諾諾とするしかないのです。此の侭では、今の少子化対策なぞ絶対に奏功しません。

 一般的に、低投票率の選挙では相対的に組織票が重みを増すため、自民党が勝つと謂われてきました。今回の東京都議補欠選挙も決して高い投票率ではありませんが、自民党は負けている。従来は、政権与党を支持しない有権者ほど投票に行かない、とされていました。今回は此の構図が変わったのかも識れません。或いは人生逃げ切りが確定した与党支持の高齢者や、保守的な富裕層(ストックリッチ)が選挙そのものに関心を喪ったのでしょうか。

 いずれにせよ、投票の熱さと冷たさとのあいだの関連付けが、世代や資産格差によってのみ動くと謂うジレンマ。そして、格差を拡大しているのが現在の政治家なのだとすれば、選挙は国が衰えるための大きな罠でしかありません。