うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

千思万考による戦死蛮行の回避。

 

國分功一郎氏の「哲学の先生と人生の話をしよう」を読みました。書名の通り、哲学者の國分氏が34の人生相談に回答しているのですが、超凡なるは相談者の文面や言い回し、単語の選択までも具に眼光紙背に徹し、相談者が何を語り一方で何を「秘匿」しているかを明哲に分析します。時に鋭く厳しく但し相談者の悩みに真摯に寄り添い、実に合理的に問題を溶かしていきます。ために、悩乱にどう対峙するべきか、憂悶すら論理的に解題する学びを得られる内容です。哲学者の骨頂を大いに発揮されていると謂えるでしょう。

相談29「悲観的な夫に腹が立ってしまいます」を例に採ります。二度の脳梗塞を患い、何かと悲観的で物事を否定的に捉えるご主人に、プラス志向の奥様は腹が立って仕方がない、どう接して良いのか分からない、と謂う相談です。國分氏は「ご主人の気持ちになって理解を示すことが大切」と前提し、

何か大きな怪我をしたり病気になったりすると、そのことを考えるために多大なエネルギーを使わねばなりません。人間の精神エネルギーには一定の量があり、どこかが大量にエネルギーを消費すると、他の部分には多くのエネルギーを使うことはできなくなります。(中略)ご主人の精神エネルギーが、おそらくは、これからの人生に対する不安によって大量に消費されていることを理解してあげてください。残ったエネルギーだけで新しい可能性を探ることはとても難しいのが現状なのでしょう。

とご主人の心裡を整理し、次に奥様の「プラス志向」についても実に明晰に定義します。

プラス志向の人は、そもそもたくさんの事柄を考えないで済ましており、また、たくさんの事柄を考えないで済ますために多大なエネルギーをを必要としているから、考えられる事柄が限定されている。ということは、プラス志向の人はあまりものを考えていないということになります。

ために、周囲の人を慮るエネルギーは極めて限定的になる。自分は無理して頑張っているから、弱音を吐く人間は業腹でならない。他人の悲嘆が想像できない。ゆえに腹も立つし、どう接して良いのか分からないのだ、と解題し可視化しています。

本書を読むと、快刀乱麻を断つ回答の数数に「嗚呼、やはり哲学者とは凄いのだなあ。不断から哲学的な思索を重ねるというのは凄いのだなあ」と唯唯諾諾とするばかりです。だんなも軽い脳味噌を動かし続けなければならない、考え続ける努力をしなければならないと戒心しました。

バートランド・ラッセルは著書「哲学入門」をこう結んでいます。

哲学の価値に関する議論を次のようにまとめてよいだろう。問いに対して明確な解答を得るために哲学を学ぶのではない。なぜなら、明確な解答は概して、それが正しいということを知りえないようなものだからである。むしろ問いそのものを目的として哲学を学ぶのである。なぜならそれらの問いは、「何がありうるか」に関する考えをおしひろげ、知的想像力をを豊かにし、多面的な考察から心を閉ざしてしまう独断的な確信を減らすからだ。

國分氏の著書はどれも平易で読みやすく、哲学の門に辿り着く前に迷子になってしまっただんなの足許を照らしてくれます。悩ましいのは、著書に示されている参考図書や引用元がどれも興味深く、宿題図書が雪だるま式に増えていくことでしょうか。こればかりは自分で解決するしかありませんね。