「じゃあ秘密を教えるよ。とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」。サン=テグジュペリの小説「星の王子さま」で、キツネが王子に伝えた言葉です。良く識られる心に残る一節ですね。王子は自分が住んでいたとても小さな星を離れ、他の星を巡ります。3番目の星には酒浸りの男が住んでいました。男は「恥じているのを忘れるため」に飲み続けていると謂います。では、何を恥じているのかと王子が訊くと、「飲むことを恥じている!」。王子さまはどうしたらいいか、わからなくなってしまいます。飲んでいる本人もどうしたらいいかわからないのでしょう。沈黙の中に完全に閉じこもってしまうのですから。
だんなは太宰治の「人間失格」の冒頭を聯想しました。「恥の多い生涯を送って来ました」。主人公は貧窮しシヅ子という女性の家に転がり込み、更に飲酒を重ねます。シヅ子の娘は母に問います。「なぜ、お酒を飲むの?」「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、…」「いいひとは、お酒を飲むの?」「そうでもないけど、…」。やはり主人公の面倒を見ていたバアのマダムは、小説の最後をこう結んでいます。「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも…神様みたいないい子でした」。
王子さまが地球で最初に出会い、最期を託したのは月の色をしたヘビでした。星に帰るために、王子さまはヘビに噛まれるのです。このヘビが物語で担う役割は何でしょう。だんなには良く理会出来ていません。ために、だらだらと考えてみます。サン=テグジュペリはキリスト教信者でした。創世記においては蛇はイブを唆すサタンの化身とされている一方で、新約聖書のイエスは「蛇のように賢く、羊のように素直になりなさい」という言葉を遺しています。ヘビは王子さまに「おれにはすべてが解けるから」と謂っています。ヘビは知性の象徴なのでしょうか。
星の王子さまは第二次世界大戦の最中に刊行されました。当時未だ勢力を維持していた、右卍に似たハーケンクロイツを戴く独逸。卍は東洋では吉祥を示す徳の集まり、西洋では太陽の象形で十字架の一種とする説もあります。彼の集団は人種を質的階層に分け、最高位をアーリア人である独逸国民と定義していました。アーリアの語源はサンスクリット語で、高貴や賢いという意味を持つようです。サン=テグジュペリは知性の運用が、その選択によってもたらす威力に言及していたと推察するのは下手の考えでしょうか。
同時期に世に出たカミュの「異邦人」。主人公ムルソーの名は、死と太陽の合成語だそうです。彼は母を亡くした翌日海水浴に行き、女と出会い莫迦らしい映画を観て、友人とのくだくだしい成り行きによって殺人の罪業に至ってしまいます。自身を置き去りに進捗する裁判に於いて、最後に動機を問われたムルソーは、「それは太陽のせいだ」と答えるのです。ムルソーは無信仰で無気力で無感動でした。彼の最期の意思は、「この私に残されたた望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった」。小説結末の一文は、「最も愚劣なかたちで自らを滅ぼすことだけが、社会への唯一の奉仕」と考えていた太宰治を思い合わせます。
ムルソーが見ていたのが、太陽ではなく星であったら。だんなの軽い脳味噌は、漠然とそんなことを考えてしまいます。遠い星から来た王子さまに、不条理に異邦人の名を負わされたムルソーに、失格の烙印を自ら受けた人間に、学ぶことが縷縷居座っていることは間違いありません。