うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

隠せ。

 

 島崎藤村の「破戒」を初めて読んだのは小学生の時だったと思います。難しい漢字や表現が多く、亦た時代的或いは社会的背景に無智な侭に読んだので、全く理会することが出来ませんでした。その後ものろのろと知識を補完しながら何度か読み、今回の再読に至ります。

 小学校で教鞭を執る主人公の瀬川丑松は被差別部落の出身であり、父から受けた「何があっても己の出自を隠せ」と謂う堅い戒めを頑なに守っています。然し「我は穢多なり」と公言する解放運動家、猪子蓮太郎の活動や著述に触発され、彼を兄事するようになります。猪子には自分の種姓を明かしたい、と謂う丑松の葛藤と懊悩は日日増していき、終に猪子の非業の死と、丑松を取り囲む悪意が重なり極限まで追い詰められます。結句、自ずから賎民であることを生徒に告白し学校を去るのです。

 小説の背景にある部落問題を理会するのは難しい。抑、なぜ被差別部落が出来たのかについては諸説あり、定説がないことも一因ですし、社会的な身分差別と制度的な身分差別が複雑な束を掬っているからです。但し本書の解説に依れば、

(徳川)幕府と藩は、政治的権力をもって、公的に賎民の制をつくりあげ、その運命を固定化した。賎民は、絶対に身分の移動は認められず、他の身分、階級の者と婚を通じることも、交際することも禁じられ、職業を自由に変えることも、一定地域を脱して他に行くことも許されないということになってしまった。いま問題になっている被差別部落は、実にこの時ー近世封建社会成立にあたって、新たに制度化された賎民に其の資源をおいている

 そして漸く1871年に此の定義が革められ、賎民の身分・職業ともに平民同様とする解放令が明治政府によって布告されました。

 出自を明らかにすれば、社会から放逐されるか或いは死か。差別とは其処まで人を追い込む恐ろしい力がある。誹謗中傷や、虐待、性加害なども同じでしょう。斯様な人の

本性を識っているからこそ、丑松の父は祈りと共に戒めを与えたに相違ない。

世に出て身を立てる穢多の子の秘訣ー唯一つの希望、唯一の方法、それは身の素性を隠すより外に無い、「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれとは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒めを忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え」こう父は教えたのである。

 一生の秘訣とはこの通り簡単なものであった。「隠せ」ー戒めはこの一語で尽きた。

 人が他人に興味を抱くのは自然のことです。而して、他人を単なる興味の対象としてのみ捉えてしまうと、人格や性格と謂う人間の根幹に関わる素養が抜け落ちてしまう。学歴や経歴、風評などの簡短に可視化された情報に依拠して、抜け落ちた人格や性格を攻撃する本末の転倒が起きてしまう。

 「隠せ」。破戒を通じて最も哀しい一語だと思います。世に許される差別なぞありません。加うるに、最近の傾向で強い憤りを感じるのは、差別や加害を行う側が姑息で卑劣な隠蔽を図ることです。其れこそが人外の振る舞いだ。

 人と付き合うには、其の人と向き合い、自分の偏見とも向き合わねばらなない。生中な心得では立ち向かえるものではありません。

 ために、だんなは人付き合いが得手ではないのです。

 

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