うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

青は藍より出でて藍より青し。

 

漸く宿題図書の一冊、藤澤清造の「根津権現裏」を読み終えました。病苦に苛まれ、貧苦に灼かれる日乗と友人の自裁に関する種種、と謂う要約はやや乱暴に過ぎるでしょうか。該作は西村賢太氏が「歿後弟子」を自称するほど傾倒し、氏の注力により2011年に新潮文庫で復刊を果たしていますが、だんなが読んだのは角川文庫版です。西村氏の解説文には「該作で清造が随所に仕掛けているパロディカルなテクニックと、全篇に通底する戯作の精神を見逃してしまうならば、この小説の”人生の悲惨事だけを執拗に記した陰鬱なだけの世界”と云う、一部ですでに凝り固まっている従来の評価は、この先も延々と踏襲されるであろう」と書いておられます。残念ながら、だんなには登場人物の台詞回し以外にはパロディを読み取ることは出来ませんでした。中盤の主人公と友人の堂堂巡りの遣り取りには「ドリフのコントかよ」と突っ込みたくもなりましたが。ただ、この件りがあってこそ、終盤における主人公の心裡描写が際立つのでしょう。初刊から100年以上を経てており、当時の背景を良く理会していない為かも識れませんが、私小説としては、西村氏の著作がずば抜けて面白いと思います。

 

「それ持てる者は与えられてなお余りあり、持たぬ者は其の持てる物をも取らるるなり」と云う言葉のみが真理のようになって私に迫ってくるのだ。

マタイ福音書から引いたのでしょう。格差は自ら増長する傾向にあり、最初の小さい格差は、次の格差を生み出し、次第に大きな格差に変容する性質を指す「マタイ効果」ですね。物質のみならず、須くこの世には「マタイ効果」が働くと謂われています。一方で、マルコ福音書では「神の国に入るには何もかも捨てた方が良い。後ろに居る多くの者が先になる」と説かれています。成長し続けなければならない資本主義は、既に限界を迎えているとすれば、「マルコ効果」による持続的な環境維持の考えを選択するべきなのでしょうか。わたくし小説に、格差社会や環境問題、経世済民について考える一文が潜んでいた点は、収穫でした。