うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

因縁。

 

物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。一見関わり合いが無い様に見える事象も実は結びついている。転じて、責任の所在を持たないことを承知で無理筋から病付かせる「因縁をつける」という言葉を産生しました。

前回記事の材本である「動物農場(新訳版)/ジョージ・オーウェル山形浩生訳」。盆暗のだんなは把捉しきれず、時間を置いて再読しようと思います。内容は兎も角腑に落ちないことがありまして、この本ほかの文庫本より背が高い。A6判を聊か食み出す長辺を持つ新潮文庫よりも更に縦長で、だんなの革文巻にもどうにか収まる判型です。書肆の文庫版の書皮では折り直さないと包めないでしょう。書架に棚上げしても一冊だけ丈長で間延びした感じで意に満たない。江湖では諸諸不都合が生じているに違いない。折角優れた叢書であるのに、主張する綱要を違えてやしませんか。というのが月並みな因縁のつけ方であります。

だんなは新潮文庫が好きです。臙脂色の紐栞、スピンがいい。便利ですし、色味と厚み、手触りも好もしい。読みたくも無い広告なんか刷られた安物の紙片を栞で御座い、なんてのはちと勘弁頂きたい。スピンを付ける為に、上の小口を費用が嵩む不揃いの天アンカットにしているのも洗煉があります。

今は掛けて頂きませんが、書皮は吉祥寺のブックス・ルーエがお気に入りです。現物をお目に掛けたいのですが、生憎手持ちがありませんでした。

だんなは乱読ですが、うちには小さな書架しかありません。汗牛充棟の蔵書を文庫(ふみぐら)に仕舞い置くなぞは望むべくもないことです。小さな文庫本が窮屈そうに並んで背比べをしているのを眺めて、気持ちを収めるとしましょうか。

 

 

 

主義。

 

ジョージ・オーウェルの「動物農場」。ひと月ほど前に読み終えたのですが、諸諸整理が難しく記事に纏まりませんでした。

農場で働く動物たちは、厳しい労働を強いられ搾取収奪される生活の邪悪を排除するため、逆乱により人間を追放します。二頭の英遇な雄豚が嚮導し守るべき七つの戒めを定め、教育や合議協働により農場を運営していきますが、幾何も経ずに見られる対立の萌芽。仮想敵を設定し、情報操作と教宣活動により七戒をも歪曲改竄し独裁者となる一頭の雄豚、ナポレオン。彼と側近は目が曇り自考の力を失った動物たちを虐使蹂躙し、権力を壟断します。農場を完全に支配した彼らは、圧政と簒奪のみ行う真の敵であった人間の似姿になってしまう、という寓話です。

刊行は1945年8月17日。日本で玉音放送が流れた僅か2日後とは驚きです。本書は著者自身の序文案からも読み取れるように、明確にロシア革命とその後のスターリニズムを風刺しています。スターリンを象った豚がナポレオンです。他の登場動物や作中の凶変が実在の人物或いは実際の史実の下敷きだと端倪するのも容易い。著者と出版社の大勇が築いた九仞の功、名著です。一部の書評や解説に、社会主義批判の書とするものがありますが、オーウェルウクライナ語訳版の序文で自身が「親社会主義」だと明言しています。

ウクライナ語版は独逸占領下にあったウクライナ難民キャンプでの頒布用として1947年に刊行されました。訳者によると、二千部を頒布したところで残部千五百部全てを米軍が押収し、ソ連に引き渡したそうです。世界が東と西に分けられ、1945年から44年間続いた対立構造を「冷戦」と称したのはオーウェルでした。時代が遷れば立場も変わる。本書は様様な政治的教宣発信の借力にもなったのでしょう。四海には千千の主義主張が産生され、非民主主義国が多数派となった現在の世態をオーウェルは予見していたのでしょうか。

「このお話の教訓は、革命が大きな改善を実現するには、大衆が目を開いて、指導者たちが仕事をおえたらそいつらをきちんと始末する方法を理解している場合だけだというものです」。自分の目で事実を確認し考え誤謬を糾す勇気を持つべきと理解します。だんなも衰えた蚤取り眼で事物を捉えるように心構えねば。

 

 

何だい藪から棒に。人の振りをした豚を見分ける方法を教えろってかい。そらあむつかしいことじゃねえやな。せえぜ鼻息をうかがってご機嫌取りをするこった。おだてられた連中は調子に乗って木に登るって寸法さね。

 

 

煩悩。

 

本記事で108件目の投稿です。だんなは己心顧みてその数からタイトルの連想を得ましたが、煩悩の数や嚆矢にはくさぐさあり忌み数でもないようです。108本の薔薇は求婚の意、野球の硬式球の縫い目は108対、ゴルフボールは直径108ミリと多彩にご活躍の様子。

森下典子さんの食に纏わる随筆集、「いとしいたべもの」、「こいしいたべもの」を読みました。所収の話はいずれも膝を打ち共感噛み締める美味しそうな麗筆ばかり。「夜更けのどん兵衛」、「夜明けのペヤング」とタイトルだけで煩悩激発です。夜更けと夜明け連食の乱行に及んでしまいたい。悪因悪果因果応報、暴挙の報いで肥立った皮下脂肪を落とすに悪戦苦闘四苦八苦は必定。一説では四苦と八苦で(4×9+8×9)煩悩の数は百八つなのだとか。

馬が疾き猿喚く様に煩悩を止められないことを「意馬心猿」、払っても纏わりつく欲心を「煩悩の犬は追えども去らず」と譬えます。須くうちは煩悩に絡め取られているのでしょう。おくさん午年、だんな申年、エイト犬だし。

馬の耳に念仏、猿に烏帽子、犬に論語の譬えもありや。無駄な抵抗はやめてどん兵衛ペヤングを贖うと致しましょう。

 

白靴や追えども去らぬめぐし犬

 

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芥子飯。

 

内田百閒の随筆集「御馳走帖」にある一文で、十銭を懐に歩いていると「自慢ライスカレー十銭」の立看板に行き当たり、食い気と財布尻を天秤に掛け思い悩んだ挙げ句到頭腹を括って店に入る、というだけの件りが百閒先生の麗筆で実に興味深い掌編となっています。先生の食慾に当てられて、胃の腑が傲然と辛味入り汁掛け飯の充塡を強要。致し方なく御厨子所に立ち、料りました。

案の定まりしか為損じまして、名実一体辛味入り汁を錬成。ゆるゆると嚥み下し易くも旨からず。いや不味いって言え。おくさんにも「何を目指しているのか分からない」とご指弾頂きました。猛省しますが、反省だけなら猿でも出来る。だんな、申年なんですけれども。

 

絵日傘や作り損じの芥子飯

 

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自動車。

 

自動車税と固定資産税を納めて参りました。納税は国民の義務ですから、心晴れやかに気分揚揚、江戸っ子も裸足で逃げ出すくらいの気風で財布尻を叩いてやりました。はあ。

自動車はautomobileの和訳で、軌道や架線を用いずに路上を走る乗り物を表す言葉ですが、名実一体ならず人の手が無ければ鉄の塊の域を一厘たりとも出られません。自動運転レベル5になって初めて完全自動運転車となりますが、それとて始動には人の意思と操作が所要です。今では誰もが知る普通名詞の自動車ですが、登録商標となれば景品表示法の優良誤認表示禁止に抵触する懸念大。然様なれば「運転車」と言い換えれば如何でしょう。自動運転車と喧伝しても正しく名は体を表し、一方厘の誇張もありません。運転手は運転車手。語感は微妙哉。運転車運転過失致死傷罪は「頭痛が痛い」の様で座りが悪いですが、こうした言葉は使わないに越したことはない。これで消費者庁の影を畏れ迹を悪むこともありません。

くだくだしいですが、中中の妙案ではないでしょうか。おっと、だんなの自画自讃が自動で走り始めちまったようで。

 

 

誤謬を糾すエイト。

 

だんなさん、トリミングの日を間違えていましたね。いつにも増して毛が伸びているなと思っていたんです。1週間遅れですものね。犬には時間の概念こそありませんが、体内時計は人間よりも正確なんです。黙っていれば分からないと高を括っていたのでしょうが、そういう木で鼻をこくる様な対応は感心しません。誠意を以て謝罪して頂かないことには、腹の虫が治まらないというもの。なに、おくさんに内緒でいつもよりちいとばかし多めにえいひれを頂ければ腹の虫も、ね。

 

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異名。

 

アンジャベル。アンジャとも。舶載渡来した江戸時代のカーネーションの呼名です。何とはなく恰好良く思うのは、だんなだけでしょうか。

 

母の日や断雲仰ぎ洟を擤み

 

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