うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

百鬼園忌。

 

4月20日が歿日と知り、内田百閒の随筆を読み始めました。「御馳走帖」は昭和21年と戦後から間を置かず、御馳走という聯想と縁近くない時代を背景として刊行された随筆集です。裕福な家に一人息子として生まれ、幼少期は祖母の寵愛を受けて不自由なく育った百閒ですが、中学の時に父を亡くし実家も破綻した為お金に苦労します。夏目漱石を敬愛師事し、最高学府を卒業後は漱石山房に行付けます。大正5年に陸軍教授に任官され、士官学校独逸語学教授の職に就き、相応の高給を得ていた筈ですが、何に使っていたのか「百閒とは借金である」と嘯き、知人や高利貸しから錬金術と称して借りまくると、利息の支払いに追われて安下宿に蟄居する始末。

「美食は外道なり」と言挙げしますが、遺した夕餉の品書きを見れば食事への拘泥は尋常ならざるところ。寝言は寝てから言え、と言ってやりたい。随筆の格調高い文章を割り裂いて、並一通りではない厄介な性根が露見します。因業、頑固、駄目、糞と凡そ世の親父の悪口は悉く当て嵌まると言えましょう。

向田邦子さんが愛したお八つ、英字ビスケットを百閒は一時期朝食代わりに食べていた様です。向田さんが好んで使う「持ち重りのする」という表現は、百閒に倣ったものと識りました。小林亜星さん演じる寺内貫太郎や向田さんの父親像が重なり、自虐的な諧謔が読み解けると、思わずくすりと絆されます。家の前で酔っ払って騒ぎ出す高利貸しと折角だからとお膳を共にして、やがて宴会を開くに至るとは時代が良かったのかお人柄なのか。

百閒が好んで食したべらた。穴子の稚魚「のれそれ」は今時分が旬ですね。翁に倣って少しお膳を賑やかに、家呑みと洒落てみたいもの。さて、おくさんはこの提案に乗るや逸れるや。

 

 

茹玉子。

 

だんなが料るのは至極希です。「男子厨房に入らず可し」を体現しているのではありません。抑、君子でも武士でもないですから。成果物が不味いものと洗いものに帰結する痛ましい結果を予見しての判断です。

料理か否かという議論は横に置いて頂いて、茹玉子に立ち掛かりました。雄渾と煮滾る湯に剛毅果断に玉子を浸漬させ、生生世世永劫無極と思える時間が過ぎるのを慧可断臀の覚悟で堪え忍びます。計時機が龍吟虎嘨と吹鳴するや、忽ちのうちに鉄火起請恐れじと鍋を掴み銀河倒瀉の如く冷水を放ち…ー あー、もういいや。沸騰したお湯から茹でた為か、冷えていくうちに空気が抜けるのでしょう。玉子がチチ、と鳴きました。

出来上がりは可もなく不可もなし。おくさんに任せきりの御厨子所ですが、嘉肴ありと雖も食らわずんばその旨きを知らず。実地を踏んでこそ価値が分かると胸に留めました。

 

亀鳴くや空気抜け洩る茹玉子

 

 

 

手袋。

 

運転時に塡める手袋を誂えました。何度か受注会に訪う機会を窺っていたのですが折り合いが付かず、四度目の正直で漸く註文に着到。香川県にある車好きには知名な工房です。接遇頂いた社長は優婉で鯔背な方でした。

革の見本を拝見し、手の寸法を取り註文票を作って頂きました。手袋の絵図に妙味があり、畏敬する伊丹十三を彷彿させます。

納品には2ヶ月以上時間を要するところ、然許りの楽しみ、贅沢な待ち時間を頂き却って喜びも一入。4cスパイダーは操舵輪に機械の助力を得られず、轍などが直進安定に差響するので、加齢が起こりで握力の衰えただんなには一層しっかり力の入る手袋は有難い借力です。決して恰好をつけている訳ではないのです。

 

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交響楽。

中学2年生の時です。音楽の授業で、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」の第3楽章を鑑賞しました。次の休日早速レコード(!)を買い、居間のオーディオにヘッドフォンを挿し大きめの音量で第3楽章ばかりを繰り返し何度も聴きました。亢奮を感じるものの、同時に違和感も覚えます。授業で聴いた正に新世界を切り開けた残響を求めて、その後何枚も「新世界より」を購めました。味噌漉し耳のだんなですから重ねて聴くほど疑問符が点じ、暗中模索が累次するばかり。

ノーベル文学賞受賞者アンドレ・ジッドの「田園交響楽」を読過しました。感情も言葉も識らない盲の少女ジェルトリュード。身寄りの無い彼女は牧師に拾われ、教育により知性を得、天稟の美麗を開きます。手術により晴眼者となったジェルトリュードは、現実を見た為に戒命を課し自壊してしまいます。

だんなが最初に贖った音盤はカール・ベームの指揮による演奏でした。ベームが残した「新世界より」唯一の音源だそうです。確かめる術はありませんが、初耳にした演奏を指揮していたのは壮年期のヘルベルト・フォン・カラヤンだと端倪します。十代目柳家小三治師匠はクラシック音楽に熟通し、蓄音機で鑑賞する粋人でした。カラヤンの評価は辛く、「棒ふりがあざとく人を感心させようという下心が透けて見える。本気で歌えよ、カラヤン」。だんなは案の如く感心致した始末です。

聴き返してみると、枯淡然としたベームの「棒ふり」が心に響きます。本質は忽ちに見ることは難しい。だんなの様な凡骨では然なぎだに。

 

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桜餅。

桜は散り、桜餅も見られなくなりますね。関東の長命寺、上方の道明寺。どちらを好むか意見の分かれる和菓子でしょう。もう一点、桜の葉を食べるかどうかにも一家言お持ちの方が多かろうと拝察致します。先日63回椿寿忌を終えた高浜虚子の句「三つ食へば葉三片や桜餅」。虚子は残葉流の門人だったのです。そんな流派無いんですけれども。1904年の句ですから、東京に現住していた筈です。塩漬けの伊豆枕崎産大島桜の葉で包まれた、関東風の桜餅でしょう。だんなは丸ごと戴きます。

虚子を後継者と矯めていた正岡子規長命寺発祥の山本やに寄宿した折、看板娘と相愛の仲と蜚語されたそうです。虚実定かではありませんが、「葉にまきて出すまこゝろや桜餅」という句を読むや如何に。子規は百余りの俳号を持ち、「漱石」もその一つ。同窓生夏目金之助の下宿に同宿し、「漱石は今友人の假名と変ぜり」と残しています。夏目漱石が度が過ぎる甘い物好きが起こりで、糖尿病を患っていたのは著聞しい話です。「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」の漱石の句に子規が返したのが、有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」とも。こちらもニ山の寺違い。

ふうふは飲み手ですが、甘味も好きです。桜餅3つはちいと荷の重いお題ですが、おくさんの拵えた濃いお茶でお下がりを戴くとしましょうか。

 

桜餅どちらも美味しニ宇の寺

 

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ダブル台風。

 

仮面ライダーV3風見志郎は改造人間である。謎の秘密組織デストロンに重傷を負わされたが、仮面ライダー1号、2号によって改造手術を受け仮面ライダーV3として蘇った。「変身、ブイスリャー!」。掛声を受けて命のベルト「ダブルタイフーン」の風車が回りエネルギーを蓄積、人工筋肉を通じた転換により各機能が起動しV3に変身するのだ!

ではなく。

台風1号マラカス、2号メーギーが累次発生し、「ダブル台風」と呼ばれていますが、だんなは英語の利かぬ槌の子でして「ダブル=2倍」という理解から先に進めません。風速が2倍と仮定すると、物体に及ぼす力は4倍になるはず。然すればダブルにあらず、クアドラプル台風ではないのかしらん。

なぞ益体もない難癖をつければ波風が立つだけで、網の目に風たまらず。風采が上がらないだんなの空言ですから、空吹く風とお聞き流し下さい。

 

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