うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

交響楽。

中学2年生の時です。音楽の授業で、ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」の第3楽章を鑑賞しました。次の休日早速レコード(!)を買い、居間のオーディオにヘッドフォンを挿し大きめの音量で第3楽章ばかりを繰り返し何度も聴きました。亢奮を感じるものの、同時に違和感も覚えます。授業で聴いた正に新世界を切り開けた残響を求めて、その後何枚も「新世界より」を購めました。味噌漉し耳のだんなですから重ねて聴くほど疑問符が点じ、暗中模索が累次するばかり。

ノーベル文学賞受賞者アンドレ・ジッドの「田園交響楽」を読過しました。感情も言葉も識らない盲の少女ジェルトリュード。身寄りの無い彼女は牧師に拾われ、教育により知性を得、天稟の美麗を開きます。手術により晴眼者となったジェルトリュードは、現実を見た為に戒命を課し自壊してしまいます。

だんなが最初に贖った音盤はカール・ベームの指揮による演奏でした。ベームが残した「新世界より」唯一の音源だそうです。確かめる術はありませんが、初耳にした演奏を指揮していたのは壮年期のヘルベルト・フォン・カラヤンだと端倪します。十代目柳家小三治師匠はクラシック音楽に熟通し、蓄音機で鑑賞する粋人でした。カラヤンの評価は辛く、「棒ふりがあざとく人を感心させようという下心が透けて見える。本気で歌えよ、カラヤン」。だんなは案の如く感心致した始末です。

聴き返してみると、枯淡然としたベームの「棒ふり」が心に響きます。本質は忽ちに見ることは難しい。だんなの様な凡骨では然なぎだに。

 

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