うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

賢い人。

 

 ユヴァル・ノア・ハラリ氏「サピエンス全史」を読みました。中中に重たい内容の胸ふたがれる思いを読後に要する典籍で、壱読では理会を纏められません。其の上で、當書に依れば吾吾は兄弟姉妹たる類人猿や、多くの他種多種の生物を絶滅に至らしめた結句、食物連鎖の頂点を掌中にしたとの示唆に触れます。

 

 上世より寧ろ、近世に於いても戰争や一方的な殺戮は挙を枚するに暇がありません。妄誕無諧を畏れずに謂えば、ホモ・サピエンス=賢い人の肇始以来の信仰や哲学、最早道徳すらも、凡てジェノサイドやホロコーストの正当化を謀る理論なのではないかと疑懼してしまいます。

 デカルトは「方法序説」で、凡そ総ての概念が偽であると疑い尽くし、尚も其の疑いを手離さない自分だけは「眞」であると考えました。而して彼は、動物に至っては機械であると判断しています。機械なので、道具として「賢い人」の期待する機能を粛粛と消化することが役割期待です。実際にデカルトは生きたままに動物を解剖し、悲鳴を耳にしても「機械的な反応だから問題ない」と定義していたそうです。

 

 方今、海内には洋洋様様な主張があります。而して、資本主義のみが伸張すれば須く眞ではないのでしょう。社会主義共産主義全体主義も即断的に目を開く方が良いのかも識れません。

 嗚呼、むつかしい本を読めど、だんなの軽い脳味噌では賢くはなりませぬなあ。