うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

散り際千金。

 

内館牧子さんの小説、「終わった人」を読みました。書目に加えて、書き出しの「定年って生前葬だな」という言葉が胸を衝きます。主人公田代壮介は東京大学を卒業後、大手銀行に就職し、順調に昇進を重ねて39歳で最年少の支店長に抜擢。そして本人曰く「黄金の40代」を迎え、役員への登用も目の当たりと思っていた49歳の春。申し渡されたのは子会社出向の辞令でした。田代は子会社で功績を立て、本社に戻ろうとしますが、二年後に転籍、そのまま子会社で定年を迎えます。会社にとって「終わった人」となった彼は、生き甲斐と身の置き場を探し、人生の再構築のために試行錯誤を繰り返します。転職先を探すうちに訪れた転機は、銀行時代よりも大きな歯車で田代の人生を急転回させます。出世も転籍も、カードは他人に握られていた。しかし第二の人生では、田代は経営者となりカードを差配する立場になります。

経営者となってからは様様な苦難にも直面しますが、その経緯は本書に譲りましょう。退職から1ヶ月、妻の千草と朝食を食べていると、テレビでは北海道の満開の桜を報じています。田代は良寛和尚の辞世の句だと「散る桜残る桜も散る桜」と一言ぽつり。

良寛和尚辞世の句については諸説議論され、松尾芭蕉の友人、谷木因の句「裏散りつ表を散りつ紅葉かな」を踏まえて詠んだ「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」を白鳥の歌と定義する論もあります。信仰に致命した良寛和尚は、落花する桜或いは落葉する紅葉の様に、後悔も無く肚落ちして人寿を全うしたのではないでしょうか。

田代は所謂「エリート」です。上り詰めるには至りませんでしたが、高い能力と豊富な経験、鋭い判断力は凡百の余人を圧倒しています。定年を迎えてもなお、でしょう。「散り際千金」を旨としていた彼も、高く掲げた目標と結果の辻褄が合わず、埋み火となって胸裏に残り、再び燃え盛る時を恃んでいたのだと思います。「終わった人」には収まらなかった。うろうろしている主人と対照的に、冷静に合理的に生活設計を立てている妻。勉強になりました。

だんなは主人公とは真逆の下つ方ですが、現職の終わり方と、その後の収まり方は考えておきませんと、黄昏時におくさんから三行半の辞令を受け取ることになるやも知れません。いやまさかとは思いますが、だんなは既に「終わった人」として始末がついていたら・・・どうしましょう。

 

熱鬧を散らす沛雨や夏落葉