うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

わたくし小説。

 

「掃除婦のための手引き書」を読みました。著者ルシア・ベルリンの畢生は「1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。」と有為転変真に逼る「じつに濃密で起伏に富んでいて」、「並外れてたくさんの場所に住み、並外れてたくさんの経験をし、それはふつうの人生の何回転分にも相当する」ものでした。全七十六の短篇は、殆どが実人生を材にとったものだそうで、内二十四篇が本書に訳載されています。流転無窮の人生を下敷きに、どの掌編も円転自在で調子の高い麗筆で綴られています。必ずしも序破急や起承転結は明確ではなく、手戻りもありながら凄みがあり、心を惹かれる物語。ために処処方方の潔くて深い、静かに矯められた一文に不意に撃たれます。

「他人の苦しみがよくわかるなどという人間はみんな阿呆だからだ。」

「この世にずっと取っておけるものなんか一つもないんだぜ。」

「もしも一九七六年になってもにっちもさっちもいかなかったら、波止場の端まで行ってお互いをピストルで撃とう。」

「仮にあなたが死んだとして、あなたの持ち物をぜんぶ片づけるのに、わたしならものの二時間とかからないのだ。」

「死には手引き書がない。どうすればいいのか、何が起こるのか、誰も教えてくれない。」

「すでに息子たちの人生の中にわたしはいないのだとわかる。それはあなたの子供たちも同じこと。」

など孫引きです。小説として読み応えがあり、流儀や処し方について考える足掛かりをにもなります。何度も読み返すでしょう。

本述作を私小説に列するのがいいと悪いは脇に置き、私小説でだんなが想到するのは西村賢太氏。「根がどこまでも”不遇イコール人生”の私小説書き体質」と定義し、「二十九歳時に自身の人生の完全なる敗北を覚り、あらゆる面での落伍者を安っぽく自認し」、尚「落伍者には落伍者の流儀がある」と矜持を支えて小説を書く。ルシア・ベルリンは「どのみちわたしの人生はまちがってばかりだった。」と書いていますが、余人には経験しえない人生を作品に昇華させています。西村賢太氏も芥川龍之介賞受賞の以前から、江湖に知られる小説家です。

だんなは人生の勝負どころでは一敗地に塗れてばかり。彼我の差を憾めど立ち上がり、自分の人生を生きるしかありません。不器用でも、譬えなにものにもなれなくても。