うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

トゥール・ダルジャン。

ふうふにとって、仏蘭西料理は大敵です。貧乏舌で高級なものを頂いても無駄になりますし、何より雰囲気に気後れし尻込みしてしまうのです。機宜給仕、甘遇優待を以て接客せしめんとするお気持ちは委曲心付いておりますが、由来小胆なふうふは三面六臂の手練に身が縮み、萎縮震慄の為体。身の丈に合わないお店で気後れして、品隲されている様に疑懼しているとは悪因悪果の至りです。

近間界隈の仏蘭西割烹の様な佳店でもこうなので、喩え唯一の支店が東京にあろうとトゥール・ダルジャンの敷居は、死の壁といわれるアイガー北壁よりも尚高い。此店の料理に使われる家鴨は、針を首に突き刺し、仮死状態で鬱血させ肉全体が濃い鉄分の滋味を得る「エトゥフェ」という方法で屠鳥されたそうです。だんなも1ミリさえ敷地を侵せば、藤枝梅安氏にエトゥフェされるに相違なし。

北大路魯山人は「ツール・ダルジャン」を訪い、家鴨の調理法を一目して意に染まず、一羽を自身の卓に持って寄越させます。これを持参した薄口醤油と粉山葵で食す傲岸不遜とも取れる振る舞いをしながら、「フランスにもエチケットはある」と同席者が鯨飲するのを窘めるや如何に。求道心の為せる技でしょうが、盗んだバイクで走り出すに近しい行為かと。

獅子文六は「私の食べ歩き」で、銀塔亭(トウル・ダルジャン)は家鴨の血煮がウマい。しかし次第に清潔贅沢な室内となり、グウルマンと別れを告げつつある、勘定は敷居の高い家と同格に昇進した、と綴っています。伊丹十三は「トゥール・ダルジャン」はちょっと敷居が高すぎる上に、そのなんです、勘定のほうも実に破格である、と高踏孤高の魯山人に引合せれば巷間に寄る書きぶりです。年時の遷移もあるでしょうけれど。

など耳学を締まりなく書いてきましたが、百聞は一見に如かず、百考は一行に如かず。果なく聳える塔に登るに、路銀を調える積立でも始めるとしましょうか。

 

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