うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

腕一本、臑一本。

 

 「親の臑齧り」と謂う輩は何時の世にも悪事の如く猖獗を極めているようで、落語の演目にも「臑齧り」なんて咄があります。

 裕福な育ちで器量好しの娘さん。理由は分かりませんが、どうにも結婚の縁がつきません。何度か婿さんを取るものの、三日も居着いた例しがない。一方、身持ちが悪いのか心持ちが薄暗いのか、勘当されて親掛かりから居候の身となった若旦那がおりまして、此方の娘さんとの縁談が舞い込んできます。美人と私産の二人連れに、究竟の条件と飛びつく若旦那。而して其の顛末や如何に。

 瀬尾まいこ氏の「その扉をたたく音」を読みました。主人公の宮路は二十九歳。無職の彼は糊口費を親に貰う仕送りで賄っています。仕送りは月二十万円。宮路の無業者期間が七年間とすれば、父君は贈与税も含めて略二千万円を費消した計算になります。でも、大丈夫。宮路の実家は私産家で、父君は市議会議員なのです。

 では宮路自身は大丈夫なのでしょうか。「じっとしていても働くのと同じくらいのお金が毎月振り込まれる」がために、勤労を睥睨しながら「一人かけ離れた場所にいる自分にぞっとしている」彼は。

 厚生労働省の資料「年齢階級別就業率の推移」に恃めば、2023年平均に於ける二十五歳から三十四歳の就業率は86.6%とされています。思っていたよりも高いと感じるのですが、本當でしょうか。自由に民主主義を食い物にするために徒党した連中の陰謀ではないのかしらん。

 此の数字に信を置くならば、喩えば当該世代十人が集まると、概ね九人は有業者である。即ち無業者は宮路のみであり「一人かけ離れた場所にいる」と謂う不安は、論理的に正当なのです。

 でもこの小説には昏く閲する日乗がありません。みな優しく、舞台となる介護施設の老人たちも明るく逞しい。加うるに、誰も疎外されていない。宮路もかけ離れた場所に置かれた侭にはなりません。なんだか落語の人情咄のような、良い物語でした。