うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

藝術は長く人生は短い。

 

トオマス・マン作「トニオ・クレエゲル」を読みました。岩波文庫版で126頁の短篇小説ですが、読過に手間を取りました。作品の主題は、主人公の少年期から青年期までの葛藤や懊悩、内省による自己の定義への帰結だと考えていますが、端的に謂うならば「重たい」。本作の成稿時、トオマス・マンは28歳でした。自身に寄せて主人公の内面を丁寧に撰述するにはまだ「間に合う」年齢です。翻って、人生50余年けじめなく生きてきただんなでは、寄り添う感性が残っていない。ために、麗筆も冗長に感じる陥穽に嵌まってしまうのです。

文筆家として成功したトニオは、「彼が何でも話す女ともだち」であるリザベタ・イワノヴナの画室を訪い、藝術と藝術家、俗世間と俗人についての考えを披瀝します。ある上流階級の集まりで、和やかな場の空気を潰して自作の詩を朗読した将校の例を引いて曰く。

芸術で腕を試そうとする人生の姿ほど、あわれむべき姿があるでしょうか。ディレッタントであり、溌剌たる人間であって、しかもその上、折に触れてちょいちょい芸術家になれる、なんと思っている人たちほど、われわれ芸術家が根本的に軽蔑する者はありません。

トニオは此の時、自分を「われわれ芸術家」と定義していますが、話を聞いたリザベタが下した「判決」はどうだったでしょうか。

『あなたは横道にそれた俗人なのよ、トニオ・クレエゲルさん。踏み迷っている俗人ね』

トニオの言葉を借りれば、彼は「片付けられて」しまったのです。芸術の道に踏み迷った俗人として。彼は嘗ての生家を基点として旅に出ます。旅先の北国から、リザベタに宛てて書いた手紙には、

僕は二つの世界の間に介在して、そのいずれにも安住していません。だからその結果として多少生活が厄介です。あなたがた芸術家たちは僕を俗人と称えるし、一方俗人たちは僕を逮捕しそうになる。

と綴っています。

「われわれ芸術家」から「あなたがた芸術家」に立場が変わったのは、トニオが今後の生き方を再定義したからなのでしょう。若いって素晴らしい。そして若きトニオ・クレエゲルも亦た素晴らしいと思うのです。