うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

くゆらす。

 

週刊誌アサヒグラフで1964年から2000年まで連載を続けた、團伊玖磨さんの随筆「パイプのけむり」。さよならパイプのけむりでの有終に至る全27巻からの撰集「味」を読みました。予予洗煉された麗筆と、夥多膨大な情報を小文で筆舌に尽くす筆力に圧倒されます。帯の解説抜粋は「博覧強記とかダンディなどという言葉には収まりきらない懐の深さがある」。氏はまさに「博聞強記」ではなく、自身の目と足で証跡を集積類聚し、其れ等を斟酌せず披瀝して読み手を鎧袖一触します。一文を書くために手間と時間を惜しまず、体験に裏打ちされた随筆を36年間書き続ける。勲しい偉業、強記の沙汰です。人間業とは思えません。「團伊玖磨」とは三井財閥総帥であった祖父、團琢磨男爵が蒐集した汗牛充棟に及ぶ蔵書群なのではあるまいか。

もう一方、パイプで思い起こすのは徳大寺有恒さんです。外国特に英国文化に知悉し、歴史や国民性に立脚して個車を紐解く氏の自動車評論は、巷間人口に膾炙する「車に乗ってみた感想文」とは一線を劃すものです。英国紳士のダンディズムに所懐を持ち、「ダンディートーク」という著書もあります。

伊丹十三も自書「英国人であるための肉体的条件(ヨーロッパ退屈日記所収)」で英国人のお洒落に秘めたる憬れを抱きながら、「肉体的な条件が許さない」と結論しています。「だから、まあわれわれは、せいぜい、『ブリッグ』の蝙蝠傘を持ち、『ダンヒル』のパイプをふかすくらいで我慢したほうがいいと思う」と。

パイプのけむりを燻らせば、だんなも聊かなりとも知的に…とは無理な話。莨は喫みませんし、精精酒を吞んで管(パイプ)を巻くのがお似合いです。