うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

石の上にも三十年。

 

 三月も残り僅かと年度末最終盤。だんなは「年度末」と聞くと、軽い胃痛を覚えます。社会人になって経験した初めての年度末。思い出したくないと謂うより、あまりのことに殆ど記憶が飛んでいますが、暗澹とした思いは未だに重く蟠踞しています。

 当時は「パワハラ」なぞ謂う言葉もない時代でした。仕事のやり方が分からず、先輩や上司に聞いても「自分で考えろ」とか「見て盗め」や挙句「俺の給料にお前の指導料は入っていない」と怒られます。皆、年度末の業績追い込みで殺伐としていて、ミスをすればファイルや物を投げられる、横びんたを食らうなんて茶飯事でした。加うるに「サービス残業」なんて概念も無く、だんなの勤務管理表は上司が書いていました。残務整理が終わらなくて、キャリーケース一杯に書類を詰め込んで持ち帰ったり、会社の近くのビジネスホテルに泊まって仕事することも当然のこと。異見を持つ人は居ませんでしたし、意見具申をすれば人事評価にがっつりバツを付けられます。

 半人前ですから、生産効率は最低です。求められる生産量を達成するには時間で補うしかありません。ために、サービス残業を重ねる。すっかり疲憊していても「吞ミニケーション」のお誘いを戴く。自己啓発する気力も時間もありません。ソフトもツールも今より格段に劣っていました。補完するのは「ヒューマンパワー」。休みも自由には取れません。體調が悪くても「倒れるなら現場で倒れろ」。休暇の予定を決めるのは上司の仕事。仕事に行き詰まると「なぜ出来ないんだ」と更に詰められ「お前の代わりなんて幾らでも居るんだぞ」といつの間にか人生崖っぷち。どうしたら仕事が出来るようになりますか、と縋れば「根性だ」とかコントですか。

 昼食も休憩も取れないことが平常。久し振りの昼食は不幸にも上司と一緒で「食べるのが遅い奴は仕事も遅い」なぞ謂われ、必死で掻き込んで何を食べたかも覚えていませんでした。

 誰よりも早く出社して、誰よりも遅く帰る。仕事のやり方も分からなければ、何故怒られているのかも分からない。組織の長が「部下は殴って育てるんだ」と誰憚らず大言している。労働生産性なんて向上する訳がありません。抑、その概念すら無い。一応、一部上場企業の話です。

 それでも何とか耐えることが出来ました。何故でしょう。「当たり前」だったからです。同期の話では、もっと酷い職場も沢山ありました。当たり前だと思っていた世間識らずだったから耐えられたのだと思います。

 もう一つの最大の理由。色色と辛いことが重なり、鈍感なだんなも流石に落ち込んでいた時に先輩がかけてくれた言葉が支えでした。「辛いときに下を向いては駄目だ。辛いときに辛い顔をしていたら、どんどんつけ込まれる。辛いときこそ姿勢を正して笑うんだ」。精神論ですね。でも、だんなには刺さりました。支えになりました。

 略三十年、パワハラは減りサービス残業も無くなりました。仕事の出来不出来は、生産性と付加価値で評価される様になりました。合理的で良い。根性論や精神論には理はなく利にもなりませんが「水清ければ魚棲まず」とも謂います。理想論ばかりでは、何れパワハラを惹起する恐れもありましょう。実情と此方人等を客観的に見据えて「老害」と謂われない様、自戒致したいと思います。

 にしても「年度末」と聞くと、胃の痛くなることよ。