うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

河豚は毒魚か将又下魚か。

 

今朝から雪が降っていて、家々の屋根に白を置いています。寒い日に食べたくなるのが鍋。具材を何にしようかと悩むのも心嬉しい。河豚なら押しも押されもしないけれど、真鱈の旬も味わいたい。青木直巳氏の「江戸うまいもの歳時記」によると、該時、毒のある河豚は下魚とされたそうです。河豚は古典落語の演目にもなっていますが、咄は毒があるからこそのサゲをひきます。

当時、毒のある河豚は下魚と見なされ、もっぱら庶民が口にする魚だった。芭蕉は、伊勢・津藩主藤堂家の一族に台所用人として仕えており、河豚の毒の恐ろしさを充分に知っていた。そこで『河豚汁や鯛もあるのに無分別』という河豚を避ける句も詠んでいる。

美食家の北大路魯山人はこの句に対して、

芭蕉という人、よほど常識的なところばかり生命とする人らしい。彼の書、彼の句がそれを説明している。『鯛もあるのに無分別』なんて言うと、鯛はふぐの代用品になれる資格があるかにも聞え、また鯛はふぐ以上にうまいものであるかにも聞える。所詮、鯛はふぐの代用にはならない。句としては名句かも知れないが、ちょっとしたシャレに過ぎない。(春夏秋冬 料理王国『河豚のこと』より)

と矢鱈に手厳しい。かと思えば「鍋料理の話」の項では、鯛を食材に鍋の作り方、食べ方の要領を説いています。河豚は先ず刺身を食し、粗や白子をちりにすべし、と謂いたかったのでしょう。

なれば、河豚は刺身が手に入るのを俟って、今夜の鍋は真鱈で料って戴くとしましょう。決して財布の尻を押さえられたのではありませんよ。