うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

それは先生。

 

最近、先生と呼ばれる人たちが犯罪者に身を落としたり、

金銭に拘泥して訴追されたり、道徳を裏切ったりしている。

抑、先生とは世俗や経世済民を遠きに置いて、

潔白で、志を高く持ち、居様が良く威容を備え、敬われる人格者と決まっていた。

言葉の濫用が、先生の価値を貶め、定義を置き換えてしまった。

内田百閒は「百機縁随筆」にこう書いている。

百閒先生思えらく、物は名の始めである。初に物ありて、次にその名を定めればいい。犬を飼ってその名を猫と名づけ、『猫や、猫や』と呼べば、犬が尾を振って飛んでくる事を試してみよう。

先生と呼ばれている人たちは、「名づけられている」のだ。

定められし名はどう謂う本意か。

考えてみたことはありますか。

 

生生と呼ばれるほどの莫迦でなし。