うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

値札が大切なものを堕落させる。

 

ミニマリストと謂う単語を耳目にするようになったのは、何時からでしょう。必要最低限のもので生活する人や様式のことと理会しています。ご賢察の通りふうふは是れに当て嵌まりません。マキシマリストでもありませんけれど。コロナ禍の一時的な影響で、国内の個人消費はサービスからモノへと軸足が移っています。ために企業投資も回復に向き、賃金の押し上げに力を与えています。ワクチンの普及や行動制限の解除によりサービス消費も息を吹き返しているようですが、これからの個人消費についてうろうろと考えておりますと一つの疑問符が軽い脳味噌に点りました。

最低限のモノのみ持たない生活様式が太宗となったら、経世済民はどう変化するのでしょう。モノ消費への需要が低下して規模を縮めてしまうのでしょうか。需要低下はモノ物価の引き下げに働くかも識れませんが、市場が萎み、企業投資の冷え込みや人員削減に働く懸念はないのでしょうか。モノ消費が減る分を「コト消費」が賄い、出ず入らずの落しどころになるのでしょうか。

だんなの主観ですが、ミニマリストの方が執筆しておられるブログ記事を拝見すると、みなさまの貯蓄や経世済民的自立に対する高い意識が読み取れます。見習わねばと自戒し、少し考えを整理します。

一般的に少子高齢化社会での個人貯蓄は逓減傾向となります。日本は超高齢社会ですから、理論的には規矩準縄の様なものです。ために生産年齢層の生活様式が消費性向を抑えて貯蓄性向を高めるなら、民間貯蓄の減少を回避して、引き続き政府部門の財政赤字を賄う背景維持が期待できるのではないでしょうか。

モノへの欲念逞しいだんなには望むべくもありませんが、物質に囚われない生活は心惹かれます。

「これからの『正義』の話をしよう」で著者のマイケル・サンデルはロバート・F・ケネディが1968年に行った印象的な演説を引いています。

アメリカのGNP(国民総生産)はいまや年間8,000億ドルを超えています。しかし、そのGNPの内訳には、大気汚染、タバコの広告、高速道路から多数の遺体を撤去する救急車も含まれています。玄関のドアにつける特製の錠と、それを破る人たちの入る監獄も含まれています。セコイアの伐採、節操なく広がる都市によって失われる自然の驚異も含まれています。ナパーム弾、核弾頭、都市の暴動で警察が出動させる装甲車も含まれています。それに…子供たちにオモチャを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれています。それなのに、GNPには子供の健康、教育の質、遊びの喜びの向上は関係しません。詩の美しさ、結婚の強さ、市民の論争の知性、公務員の品位は含まれていません。われわれの機知も勇気も、知恵も学識も。思いやりも国への献身も、評価されません。要するに、GNPが評価するのは、生き甲斐のある人生をつくるもの以外の全てです。そして、GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれないのです。

同じくサンデルは「それをお金で買いますか」の序章でこう謂っています。

すべてが売り物となる社会に向かっていることを心配するのはなぜだろうか。理由は二つある。一つは不平等にかかわるもの、もう一つは腐敗にかかわるものだ。(中略)裕福であることのメリットが、ヨットやスポーツカーを買ったり、優雅な休暇を過ごせたりといったことだけなら、収入や富の不平等が現在ほど問題となることはないだろう。だが、ますます多くのもの ー政治的影響力、すぐれた医療、犯罪多発地域ではなく安全な地域に住む機会、問題だらけの学校ではなく一流校への入学などー がお金で買えるようになるにつれ、収入や富の分配の問題はいやがうえにも大きくなる。(中略)これで、貧困家庭や中流家庭にとってこの数十年間がとりわけ厳しい時代だった理由がわかる。貧困の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなったのである。

いずれも考えさせられる論調です。大量生産、大量消費による物質的な豊かさを至上とし、モノに恋恋とすることで社会構造や精神の像が歪んでしまうのかも識れません。今日から何かを購うときは、本当に要るモノなのか、本当に在るモノなのか、よくよく吟味することに致しましょう。

 

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