うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

不平等な時間。

 

一般相対性理論は、重力の弱い場所では時間の進み方は速くなると謂うことを導出しています。実験によっても、スカイツリー展望台の時間は地上よりも速く進んでいることが確認されているそうです。タワマン最上階に住んでいる人は、低層階の住民より短命なのでしょうか。これぞまさしく階層構造と云へり。

だんなは時間について正しく理会しておりませんし、寡聞管見にて説明もできません。ために、先人の大知英知を恃みに立ち向かうと致します。

少し順序を違えているので分かり辛いと思いますが、ユクスキュルは「生物から見た世界」に於いて人間の時間に一つの定義を与えています。

人間とって一瞬の長さは一八分の一秒である。しかも、あらゆる感覚に同じ瞬間記号が伴うので、どの感覚領域でも瞬間は同じである。一秒に一八回以上の空気振動は聞き分けられず、単一の音として聞こえる。一秒に一八回以上皮膚をつつくと、一様な圧迫として感じることも分かった。

一八分の一秒が人間の知覚的な限界だと謂うことなのでしょうか。より詳細に「暇と退屈の倫理学」で國分功一郎は解題しています。

人間にとっての瞬間とは一八分の一秒(約0.056秒)である。いったいこの数字はどこから来たのだろう?ユクスキュルは実はあるメディアに訴えかけることでこの数字を導き出している。そのメディアとは映画である。

國分も指摘するとおり、現在の映画のコマ数は二十四分の一秒なのですが、「十八分の一秒以内で起こることは人間には感覚できない。従って人間にとって一八分の一秒とは、それ以上分割できない最小の時間の器である。人間にとっては一八分の一秒の間に起こる出来事は存在しない」のです。感覚できる時間は動物によって異なりますが、原則として小さい動物ほど感覚時間は短くなります。人間と動物では時間の流れが異なる、更にわたしたちの間でも完全に一致する時間経過は無いのかも知れません。

時間については、科学的に亦た哲学的に様様な考察が進んでいます。脳の軽いだんなの所見ではありますが、昨今ではどうやら両者の思索は近しく収斂しているように思います。なぞ謂っている間にも時計は進み、浅薄な考察しか出来ない脳味噌を憾むばかりです。