うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

一寸の蟲にも不死の魂。

 

ふむ。入浴調髪を終えて、吾輩はとてもよい心持ちである。請われたドラキュラ伯爵の扮装も似合っておるであろう。ために、さらによい心持ちである。

さて、伯爵は人間の生き血を啜る吸血鬼として名が高いが、自然界にも吸血鬼は実在し実害が出ておる。中でも吾輩が最も難儀するのは「マダニ」だ。

物識らずの忠僕にマダニについて講じてやろう。まあユクスキュルの「生物から見た世界」の言を引いたものではあるが、この生物は実に興味深いぞ。此奴は人間であれ動物であれ獲物に取り憑くやその血を腹一杯吸う「不快な客」だ。目も見えず(と謂うか目を持たないのであるが)耳も聞こえない此奴の恃みは「嗅覚」である。どれ、吾輩も少し引用に恃むとしよう。

この目のない小動物は、表皮全体に分布する光覚を使ってその見張りやぐらへの道を見つける。この盲目で耳の聞こえない追いはぎは、嗅覚によって獲物の接近を知る。哺乳類の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いが、このダニにとっては見張り場から離れてそちらへ身を投げろという信号として働く。そこでダニは鋭敏な温度感覚が教えてくれるなにか温かいものの上に落ちる。するとそこは獲物である温血動物の上で、あとは触覚によってなるべく毛のない場所を見つけ、獲物の皮膚組織に頭から食い込めばいい。こうしてダニは温かな血液をゆっくりと自分の体内に送り込む。

これ、忠僕よ。露骨に退屈な雰囲気を出すでない。堪え性のない奴だな。少しはダニを見習いなさい。此奴の忍耐力は並大抵ではないのだぞ。國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」を読むと良い。興味を惹く起こりとして少し引いてやろう。

わずか1ミリそこらの動物が、広大な森のなかでたった一本の木の枝を選ぶ。そしてその下をうまく哺乳類が通ってくれるのを待つ。哺乳類に出くわし、しかもうまくダイビングを成功させる確率はいかほどだろうか?狩りの成功はほとんど幸運な偶然と言う他ないだろう。だからダニは枝の上で長時間にわたって待機できる能力を備えている。しかも、当然ながら飲み食いせずに、だ。そして、この能力は、私たち人間の想像を遙かに超えるものである。ユクスキュルは驚くべき事実を紹介している。バルト海沿岸のドイツの都市ロストックの動物学研究所では、それまで既に一八年間絶食しているダニが生きたまま保管されていたというのだ。

ただ嗅覚のみを恃み、一八年間もの長い時間を何の愉しみも無く俟つ。しかもだ。最後の晩餐のあとに俟っているのは、産卵と死だけなのだ。潔く崇高ではないか。國分はさらにここから時間とは何か、ハイデッガーの決断についても論を拡げている。実に興味深い。良いか忠僕よ。覚えておきなさい。学ぶ姿勢さえあれば、小さな虫にも深淵で永遠の哲学を識ることができるのだ。

これ、起きんか莫迦者。

 

f:id:eight8eight_888:20221023101417j:image