うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

文学に索める私産防衛に関する思案。

 

結句、投資家心裡を読むことは絶対に出来ない。少なくともだんなには。

 

進行する円安に対して、24年振りに政府が円買いドル売りの為替介入を行いました。過去10年間のドル円の為替推移を見ても、円の相対的な価値が下がっていることは明らかですが、円安・円高ともに各各功罪があるならば絶対的な価値が毀損しているとは謂えないのでしょうが、日本の国力の相対的な強さはどうなっていくのでしょう。国力を測る構成要素の一つに人口があります。令和2年の日本の総人口は略1億26百万人ですが、将来人口は軈て令和27年から37年にかけて1億人を下回る予想推移となっています。人口構成では、生産年齢人口は2,260万人減少し、老齢人口は170万人増加する見込みです。亜米利加はどうでしょうか。総人口は今後も逓増します。老齢人口の割合は16%と国連が定義する高齢化社会、則ち総人口に占める老齢人口割合14%を超過しているので、亜米利加も高齢化社会です。因みに日本の老齢人口構成比は29%で「超高齢社会」です。日本は人口減少と少子高齢化の同時進行によって衰微していくので、投資対象としては不適合国であり、亜米利加に私産を移転しようと謂うのが本稿の要旨、ではありません。

慥かに日本の人口構成は歪に弱体化しています。60代以上の高年齢層が、個人金融資産の7割を包括して蓄えている結構も、この国の経世済民に永く無為を通してきた証左です。一方で高齢で富裕な人たちが保守的とするならば、ために低成長ながらも成熟し安定した低位成長を続けることは可能ではないかと安易な帰結を導きます。

エリック・ホッファーの「現代という時代の気質」を翻訳した柄谷行人氏は、文庫版解説で興味深い考察を述べています。

ホッファーが与えた省察の一つは、「変化」が人間の精神状態に大きな影響を与えるということである。たとえば、人が急に貧困化すると、過激になるということであれば、誰でもわかる。しかし、急に富裕になると、過激になるということが、気づかれていない。つまり、貧困になるか富裕になるかではなく、変化そのものが人々の精神状態に影響するのだ。

 

逆に、変化がない場合、人は変化を望まず、保守的になる。富裕な人たちがそうなるのは当然のように見えるが、貧窮者も同様である。貧困が長く続くと、人はむしろ保守的になる。日本の場合、一九九〇年代から経済成長の停滞が続いたため、若者は革命的になるどころか保守的になった。

ホッファー自身は、こう述べています。

無為を余儀なくされた有能な人間の集団ほど爆発しやすいものはない。そのような集団は過激主義や不寛容の温床になりやすく、いかに不合理で邪悪であろうとも、壮大な行動を約束してくれるならどんなイデオロギー的改宗でも受け容れてしまいやすいのだ。

だんなの軽い脳味噌を転がしてみます。生物学的な人間の寿命は38年と謂われています。「比較的近年にいたるまで人間の寿命は短かった。歴史の大半を通じてほんとうの老人はまれだった。」人は老人であることに慣れていないし、超高齢化社会の構造にも適合出来ていない。生物学的な矛盾は、いずれ進化を伴わなければ瓦解する。そこで、「少年の心性を老年においても存続したり再び獲得する」のです。年齢と内的な心性が一致しているとは限らない。寧ろ一致しない。故に冒頭の結論に至りました。私産防衛における制限条項、格率其之壱です。同様に、投資について決断することは絶対に出来ない。少なくともだんなには。その仔細はいずれ亦た。