うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

真実は天使の匙加減。

 

日本には2,000以上のゴルフコースがあるそうです。中で唯一「施工者不明」とされているのが、富士屋ホテル仙石ゴルフコース。神奈川県箱根町にある富士屋ホテル経営者の発案により1917年に開場しました。皇太子時代、夏になると該ホテルの別邸に長期滞在された昭和天皇にゴルフを楽しんで戴きたい、と発心した数千人の村民が奉仕した地突き普請により竣功したコース。ために、施工者不明となりました。夏坂健氏の著書「昭和天皇のパター」からの受け学です。

ふうふがクラブを置いて以来10年以上経てていますが、ゴルフに並並ならず血道を上げていた時期があります。同日に二つのコースを廻ることも茶飯事でした。大変面白いゲームである上、腕前の向上には中中に時間とお錢を要する。財布尻を叩いて溜息を吐くだんなに、読むゴルフの楽しさを教えて下さったのが、夏坂健氏そして中部銀次郎氏でした。手放してしまいましたが、著書の目八分以上は蒐集しておりました。ふうふのゴルフに立ち向かう気構えは、両氏の遺著典籍に錬成されたものであったのです。

夏坂氏は35年間ゴルフのハンディキャップを一桁に保ち、北極圏から南米チリまで世界中のターフを踏んだそうです。機知に富んだ麗筆は多くの人を魅了し、毎年仏蘭西で開催されるゴルフ・サミットにアジアからただ一人招聘され、海外の雑誌への寄稿も多数。絶筆となった「昭和天皇のパター」は未完の一篇です。ために、大きな謎が遺りました。富士屋ホテルの広大な敷地にある花御殿の物置で、壁を恃みに息をひそめて佇む古めかしいゴルフクラブが見つかります。もしやこれは、と直感を得て、真実を明らかにすべく探求を尽くす決意をする夏坂氏。表題の通り「昭和天皇のパター」なのでしょうか。痛恨の極み、結論を読者に披瀝する前に、氏は他界してしまいました。

暑い夏には筆が進まず、「夏さ、書けん」と居直ったと謂う表白を読んだ記憶があります。厳しい残暑が続きますが、秋の風が吹く頃には結末を締めくくって頂けるでしょうか。

 

色無き風やパターの返す微光