1918年、米国メジャーリーグの歴史に刻まれた「同一年度に投手として2桁勝利し、2桁の本塁打を打つ」という巨歩。レッドソックスに所属していたベーブ・ルースは、20試合に登板し、13勝7敗。本塁打は11本を放ち、同年の本塁打王となっています。エンゼルスの大谷翔平選手が104年振りに「2桁勝利、2桁本塁打」の達成に王手をかけていますが、10月の競技年度終了までに幾つ勝ち星がつくでしょうか。
米国メジャーリーグに残る最も偉大な記録のひとつ、1941年にジョー・ディマジオが達成した「56試合連続安打」。ジョー・ディマジオは漁師の家庭に9人の兄弟姉妹の8番目、4男として生まれ、ベーブ・ルース引退後の1941年にヤンキースの選手としてメジャーリーグの舞台に立ちます。野球界に多大な貢献をしましたが、またマリリン・モンローの2番目の夫としても知られています。
アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」は、ジョー・ディマジオが引退した翌年、1952年に刊行されました。主人公の老人サンチアゴは、巨大な旗魚との搏戦の只中にくさぐさ思いを巡らせます。「あの名手ディマジオは、いまのおれみたいに長時間、ああいう魚と渡り合えるかな?そりゃ若くて頑丈なんだから、おれ並みに、いやそれ以上にやりおおせるだろうさ。親父さんも漁師だったというし。だが、踵の骨棘とやらの痛みは、並大抵じゃなかろう?」高見浩氏の翻訳ノートによると、「ディマジオは1948年に右足の踵の手術を受け、翌1949年のシーズンには2か月ほど出遅れた。」そうです。手術から復帰し、「踵の骨棘の痛みにもめげずに、打っても守っても完璧にやってのける」ディマジオは、孤独な闘争を続けるサンチアゴを奮い立たせる、心の支えだったのでしょう。野球選手の鑑とされ、優れた人物でもあった彼は、生涯離別したモンローを愛したと謂われ、20年の間、週3回彼女の墓に赤い薔薇「アメリカン・ビューティー」を届けたそうです。真摯に野球に取り組み、自分を厳しく律していた彼の記録を破るのは相当な難事に思えます。サンチアゴが仕留めた旗魚の命を改めて奪う鮫の様に、いつかは誰かがディマジオの地位を簒奪するのでしょう。
ディマジオが現役を引退した理由は、踵の故障と謂われています。「踵の骨棘とやら」の痛みは、偉材にも耐え難い辛さだったのか。
だんなは頸骨にひとつ、骨棘とやらを住まわせています。凡百凡夫にとっては、中中に耐え難い痛みです。だんなが色色と耐性を獲得していないだけかも知れませんけれども。