この記事でだんなのお年頃が知れてしまいました。抑、虚しく馬齢を重ねたのみでして掩蔽することもなし。くだくだしく面白みもない半生歴程で、最早目星い勲もありません。他所様に一段も二段も落ちる勤めぶりで立てた暮らしの中で、それでもおくさんが些かでも福福しいひと時を経てたなら、それに優る感謝はありません。おくさんが料ったお膳立てとケーキで柄にもないハレの日を愉しみました。ありがとう。
内田百閒は毎月の金繰り金策に厭世を極め、随筆「無恒債者無恒心」に述するに曰く「百鬼園先生思えらく、人生五十年、まだ後五六年あると思うと、くさくさする」。点鬼簿に戒名を連ねた歿年は八十二歳でした。
五十年はもとより経ちましたが、あと何回お祝いしてもらえるでしょう。晩年の父は、家族で細やかな小宴を賑わした後に「これから何回こうして皆で飲み食いできるかな」と謂うのがお定まりでした。悪洒落と流していたその言葉を聞いたのは、両手の指に余るか無しかを数えるほどでした。
甘瓜ややがて鹹味の一雫