環境省がクールビズなる三伏における軽装化を鼓吹推奨したのは2005年のこと。だんなが俸給生活者となって差し当たりの頃は、炎天や油照りに煮えつく日でもシャツの釦を上まで留め、襟締めの結びを絞り、外衣を着込んで汗を揉むのが規矩準縄でした。酷暑での渉外は、本然の汗搔きと不慣れから噴き出る冷汗三斗で、宛らに濡れ雑巾の様になります。背広もシャツも、就中ネクタイの損耗はただならぬ進捗。何掛け使い潰したかわかりません。
ドミニック・フランスは1939年創業のネクタイメーカーです。経糸と緯糸の合計本数、所謂打ち込みが普通の絹に比べて三倍のヘヴィシルクを手作業で織り、同じ色柄は140掛けのみ取りません。更に職人が一掛けずつ刺繍を仕付けて調えます。
外祖父が好んでいて、相承した父も少しずつ買い足したようです。使い方が行き届いていたのか、殆ど傷みはありません。ドミニック・フランスのタイは7段階の序列に並びます。手元にあるのは概ね中より下位の物で、だんなも折折時と場所を選んで締めていますが、ポードゥソワという三番目に上等な一掛けだけは何としても手が伸びません。いつか自分でも贖おうと思っていたところ、残念経緯は不案内ですが2016年に廃業したようです。
襟締めの結び方は様様ありますが、だんなは父が教えてくれたセミウィンザーノットより知りません。不都合も覚えないので、外に習うこともないでしょう。
襟には胸の内という意味もあるそうです。いずれまもなく最後に締める時には、おくさんの選んだ一掛けを層一層丁寧に結ぶと決めています。胸の内から諸諸の思いがこぼれ出さないように。