うちのふうふとエイトのこと。

黒トイプーのエイトや車。ふうふの日常について。

小笠原流礼法。

最初にお断りしますと、だんなは小笠原流に知悉している訳ではありません。「室町時代足利義満の臣小笠原長秀が創始した、武家故実から出た礼法」とて道聴塗説、典籍から得た知識です。

海軍軍人で清水次郎長とも親交を結んでいた、子爵小笠原長生の話を文字に起こした「砲煙裡の食事」。子母沢寛の「味覚極楽」に載録されています。

小笠原家の何代目かの人間が京都へ使いに行き、宮中で出された御膳を食べるのですが、小笠原流の一家の者がどんな風にして飯を食うだろうと公卿さんたちは興味津津。唐紙障子のかげにかくれて覗き見をします。小笠原はこれを察して、汁も煮しめも漬物も飯の上へ打っ掛けて食べ始めます。その様を見て、公卿たちは小笠原一家とて田夫野人にも劣るではないかと冷笑するのですが、いざ箸を洗う段になりますと、あれ程荒っぽい食べ方をしたにも拘わらず、箸の先が二分(6ミリ)と汚れていない。これには肝をつぶした、というお話です。

伊丹十三は著作「女たちよ!」の一節、「箸の汚れ」でこの聞き書きを引き、「今、私は子母沢寛先生の『味覚極楽』の中の、小笠原長生の話、というのにこだわっている。(中略)二分とは今でいう六ミリ。お茶漬けや、納豆を食べるごとに、私は、およそ五センチくらいも汚れてしまって、海苔の滓なんぞこびりついている自分の箸を、つくづく眺めやっては、小笠原流の神秘を思うのである。そうしてまた二分しか汚れていない箸に気づいた、公卿さんたちの神経を思いやるのであった。」

慥かに、公卿さんたちの一隻眼がなければ小笠原の計略は成立しない。敵も然るもの引っ搔くもの、というところでしょうか。

だんなにとっては、6ミリなんて神業の域。愛用の竹ものさし分くらい汚れてしまいそうです。蕎麦も笊汁は三分だけ、先をちょんと落として手繰るのが粋なんて言いますが、野暮で結構、箸も蕎麦も思うまま浸して頂きたい。

戒心しますが、短日月でだんなが箸使いに手慣れるとはあられもない。見付きの良い夫婦箸を贖って、掌中の珠とすれば秋毫の微ほどは手が上がるでしょうか。否、さっさと箸をグラスに持ちかえて、手が上がる(酒量が増えるの意)のが関の山でしょう。